霞町物語

「霞町という地名は、とうに東京の地図から消されてしまった。だが今でも、かつてそう呼ばれたあたりの街かどに立てば、誰もがなるほどと肯くことだろう。できれば冬の夜がいい。青山と麻布と六本木の台地に挟まれた谷間には、夜の更けるほどにみずみずしい霧が湧く。周囲の墓地や大使館の木立ちから滑り降りた霧が、街路に向かってゆったりと流れてくるのである。」(霞町物語、浅田次郎)

その交差点はその昔都電が走っていました。国立新美術館に建て替わる前、第1師団歩兵第3聯隊(麻布三聯隊)兵舎だった建物の前を都電が走り、西麻布交差点に降りて行ったのでしょう。 今は、ケーキカットされた旧建物の一部が残っているのみです。そこに都電が走っていた頃のジオラマ模型が展示されています。

「都電は停留場のない墓地下のカーブを全速力で駆け抜けた。そこはおそらく、都電が往年の力を存分に発揮できる都心で唯一の場所だった。老人たちがいまだに「三聯隊裏」と呼ぶ新龍土町の停留場を出ると、青山墓地の山下に沿った広いカーブを、都電は警笛を鳴らし続けながら一気に走り抜けるのだった。」(霞町物語、浅田次郎)

1928年(昭和3年)に麻布三聯隊兵舎は竣工しました。現在はケーキカットされた建物の一部がリニューアルされて、美術館の別館として使われています。兵舎の設計は第一師団経理部、施工は松村組、工期は、大正14年12月~昭和3年8月となっています。 その後、1962年(昭和37年)~2001年(平成13年)の間、東京大学生産技術研究研・物性研究所として使用されていました。 2001年に旧建物は取り壊され、意匠、黒川紀章、構造・設備、日本設計の共同事業として、2007年(平成19年)1月に国立新美術館としてオープンしました。

ところ変わってフランス。パリ万博の開催にあわせて、1900年7月、オルセー駅がオープンし、1939年に廃駅となりました。1977年に当時のフランス大統領により、19世紀の美術館とすることが決定し、1978年に歴史的建造物に指定され、1986年12月、オルセー美術館としてオープンしました。 時期は若干異なるものの、オルセー駅と麻布三聯隊兵舎は、同時代に建設されています。 パリでは、オルセー駅がオルセー美術館として、東京では、新しく建替えられて国立新美術館となっり、今に至っています。オルセー駅のように、旧建物を活かした美術館の在り方もあったのではないかと思います。

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